研究資料

 

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この研究資料
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古典ファイル I

一の一 七種竹花器飾り(真)

[二重獅子口、橋杭、二柱、手杵、曲真鶴(曲)、寸渡、獅子口](漆塗しゅみ竹)

  蔓梅擬、山錦木、どうだんつつじ、五葉松、菊

  基本となる七種竹花器の「鮟鱇」を「真鶴」に代えて組み合わした、家元好みの七種竹花器飾り。「曲真鶴」は「真鶴」の首が真っ直ぐではなく、曲がっている変化の竹花器である。

 

 

一の二 七種竹花器飾り(真)

[二重獅子口(用添流し)、橋杭(控流し)、二柱(体後添流し)、手杵(体流し)、鮟鱇(体前添流し)、寸渡(留流し)、獅子口(用流し)](真竹)

  エニシダ、ジョウロウホトトギス

  七種竹花器に七曲を組み合わせたもの。

 

 

一の三 七種竹花器飾り(真)

[二重獅子口、橋杭、二柱、手杵、鮟鱇、寸渡、獅子口](真竹)

  蔓梅擬、白玉椿、エニシダ、錦木、葉蘭、なでしこ、錦木、エニシダ、蔓梅擬

  師から学んだ法を、さらに次の弟子へと伝承していく姿を現す「二重獅子口」、人を渡し導く法の橋をかたどった「橋杭」、イザナギノカミ(陽)とイザナミノカミ(陰)という男女一対の二神をかたどった「二柱」、天円地方の和合の姿を現す、上下同寸の「手杵」、清濁をあわせ飲み大海に通じる「鮟鱇」、上半分を「空」そして下半分を「風火水地」に五大を現し、宇宙の本体をかたどった「寸渡」、獅子のような気高い口が開いて法が説かれていく様を現した「獅子口」、以上の竹花器でもって基本の七種竹花器とする。

 

 

一の四 七種竹花器飾り(行)

[二重鰐口、けぬき、二重櫓、寿老、水虎、ひさご、鰐口](真竹)

  山錦木

  鰐のような細長く狭い口が二つ開いている「二重鰐口」、刺(内なる醜)を抜き取る道具をかたどった「けぬき」、弓を射たり遠方を見渡すのに、材木を高く組んだ櫓である「二重櫓」、上筒が下筒より長く、七福神の一人で長寿を司る寿老人の姿を現す「寿老」、頭に皿を背中に甲羅をもつ河童の姿をかたどった「水虎」、邪の気を中に吸収して浄化させる働きがあるとされる瓢箪の形をくり抜いた「ひさご」、鰐のような口が開けられた「鰐口」。仏閣のお堂正面(神社の社殿にあるときも)に吊り下げられ、参詣者が綱を振って打ち鳴らす、円形の大きな鈴のことを鰐口という、その鈴の下部と側面に、鰐のような細長く狭い口が開けられていることから「鰐口」と称された。「二重鰐口」を「三重獅子口」に代えることもある。真行草の三曲のうちで、同じ変化のものを入れ代えたりと、若干の変化を加えても構わない。

 

 

一の五 七種竹花器飾り(草)

[雁門、真鶴、天蓋、五重切、丸玉垣、登猿、旅枕](真竹)

  山錦木

  宮殿を飛び越えることができない雁が通り抜けられるようにと、秦の始皇帝が空けたという伝説の穴を「雁門」といい、仏門を現すこともある。上部に抜き通した穴をもつ「雁門」、北方より渡ってきて日本で越冬する、丹頂鶴よりやや小さい「真鶴」、上筒が下筒より短く、虚無僧がかぶる笠をかたどった「天蓋」、五つの口が開けられている「五重切」、神社など聖域の周りを樹木や石柱を巡らして囲み、常世と現世の境界を引いた玉垣を見立てて、寸渡の花入れに円をくり抜いた「丸玉垣」、樹木をするすると登っていく猿の姿を想わす「登猿」、旅人が旅の途中で手持ちの花入れを枕代わりに使ったことに由来する「旅枕」。

 

 

一の六 七種竹花器飾り(草)

[五重切、真鶴、登猿、天蓋、丸玉垣、雁門、旅枕](真竹)

  あけび、なでしこ、りんどう、てっせん、錦木、シンフォリカリポス、萩、紫式部、蓮、秋明菊、山錦木、萩、水引草

  草の七種竹花器飾りは特に定まった配列はなく、また真行草の三曲のうちで同じ変化のものを入れ代えたり、敷板花台垂撥なども自由に用いて、変化に富みながら組み合わせて構わない。

 

 

一の七 七種竹花器飾り(草)

[天蓋、三重櫓、寸渡、二重獅子口、真鶴、三重丸玉垣、獅子口](根付しゅみ竹、すす竹)

  櫨、蔓梅擬、杜若

 

一の二十 七種飾り(真)

[銅器 : 広口、薄端、寸渡、卓(香炉・火道具建・火箸・灰押・香合・広口)、寸渡、薄端、広口]

  錦木、なでしこ、五葉松、伽羅木、しらさぎかやつり(別名:しらさぎすげ)、伽羅木、五葉松、太藺、杜若、沢瀉

  中央に卓(ここでは杭州棚)を置き、卓の上には香炉(襷形か鼎の類)を置いて香を焚き、香炉の後(ここでは右)に火道具建を、火箸で灰押をはさんで前後に立てて置き、香炉の前(ここでは中段)に香合を、卓の下には細口の器などを用いて花を挿ける。卓の左右には、それぞれ八角の花器(真の銅器)を置き合わせて、「床の真の飾り付け」とする。このとき、正式には真の花台を用いて、掛け物も三幅対のもの、真ん中は帝王聖人賢人もしくは神仏の像の掛け物を掛ける。さらに大きな床飾りをするときには、その左右に薄端、そして広口と、花器をさらに増やして置き合わせる。 ここでは、薄端・寸渡・広口の銅花器(真)に、卓に用いる香炉・火道具・香合・花器を合わせて、真の七種飾りとする。

 

一の二一 七種飾り[剛から柔 : 真(剛)〜 草(柔)]  

 [根付竹花入(草)、和物籠(草)、竹花入(草)、薄端(真の真)、八角銅器(真の真)、唐物籠(草の真)、銅広口(真)]

  杜若、紫式部、エニシダ、葉蘭、エニシダ、すすき、女郎花、桔梗、杜若

  「真の真」とされる格調高い薄端と八角銅器、力強い姿の唐物写しの銅器に、草の器であるものの「草の真」として緻密に編まれた唐物籠。それに対して、自然に生じた景色をそのままに持つシュミ竹の竹花入、作り手の息吹を感じ取ることのできる作為のない和物籠。唐物を尊ぶ趣向(剛、唐物荘厳)から、日本古来よりの冷え枯れた美(柔、枯淡の美、侘び)を尊ぶ意識の回帰。

 

一の二二 七種飾り[真 - 行 - 草]  

 [根付竹花入(草)陶器(行)竹花入(草)薄端(真)磁器(真)銅器(真)白磁広口(真)]

  ほととぎす、石榴、どうだんつつじ、松、秋明菊、伽羅木、シャジン、桜たで、梅ばち草

  真の花器である銅器と磁器、行の花器である陶器(土器)、草の花器である竹器(木器)と、花器を真行草の変化で捉えて組み合わせた七種飾り。花台も、中央より真行草と変化して用いている。

 

 

一の二三 七種飾り[草の変化(草の真 - 草の行 - 草の草)]

[唐物籠(草の真)、木器(草の行)、和物籠(草の行)、漆塗り竹花入(草の真)、根付竹花入(草の行)、青竹花入(草の草)、木胎漆器(草の真)]

  牡丹、這柏槇(別名:そなれ)、じゅずさんご、りんどう、葉蘭(葉、出生葉)、老や柿、小菊、なつはぜ、さんきらい(別名:サルトリイバラ)、寒桜

作為のない和物籠を「草の行」、緻密に編まれた唐物籠を「草の真」として。古材でつくられた木器を「草の行」、木の素地(胎)に漆塗りをほどこした木胎漆器を「草の真」として。自然に生じた景色をもつ根付竹花入を「草の行」、漆で加飾した漆塗り竹花入を「草の真」、そして自然のままの姿をみせる青竹花入を「草の草」として。すべて「草」の花器を用いて、そのなかで「草の真」「草の行」「草の草」という変化を、それぞれに捉えて組み合わせた七種飾り。 (参考:竹や蔓を編んで器形にした素地に、漆塗りしたものを籃胎漆器という。)

 

 

一の三十 書院飾付(真)

[禁忌三十六ヶ条の巻、筆、筆架(筆置)、筆筒、圧尺(文鎮)、硯、硯屏風、墨、水滴、筆洗、印 (喚鐘、鐘木、丸鏡 略)]

葉蘭(葉、出生葉)

合図にならす鐘である喚鐘を天井中央に釣り、床に近い上手の柱には丸鏡を掛け、下手の柱にはシュビ(鹿の毛の払子)や、鐘を鳴らす鐘木を釣る。花が主体の会ということで、ここでは喚鐘、鐘木、丸鏡を略している。

 

 

二の一 五管筒[五行(真竹)]

貝塚伊吹

  中央に最も高い@の筒を、次に東西南北を現すABCDの筒をそれぞれ四方の角に配して、中央の高い@の筒から、四方の景色を眺望するような面持ちで挿ける。理でなく、自然現象としての「五行」を現す。

 

 

二の二 五管筒[五行(孟宗竹)]

這柏槇(別名:そなれ)、黄金真柏

  最も高い@の筒を後ろに置いて、ABCDの筒とでもって、五行の配置とする。四方の景色を眺望するような面持ちで挿ける。理でなく、自然現象としての「五行」を現す。

 

 

二の三 五管筒[山水(しゅみ竹)]

貝塚伊吹、なつはぜ、椿、藤袴、杜若

  最も高い@の筒(山の木物)は遠景の景色を、ABの筒(里の草物)は山の裾野にある里の風景を中景として、CDの筒(川の水物)は谷川などの景色を近景として現し、「山里水」という自然の景色を移しとる。

 

 

二の四 五管筒[八重垣(ごま竹)]

伽羅木、蔓梅擬、柾、菊、なでしこ

  @ABの筒を庭の垣根より外の景色として、CDの筒は庭の垣根の内の情景を現す。Aの筒に高くそびえ立つ一本の立木を立姿に、そして@の筒に横たわって連なる遠山の連峰を見立てて横姿に、またBの筒に山の立木と並んで立つ低い木々を半立姿や横姿に挿ける。CDの筒には草花や庭の池に咲く水草などを挿ける。

 

 

二の五 五管筒[八重垣(亀甲竹)]

銀香梅、山錦木、伽羅木、りんどう、菊

 

 

二の六 五管筒[八重垣(銅)]

柾、蔓梅擬、貝塚伊吹、ピンポン菊、海芋(カラー)

 

 

二の七 五管筒[段杭(亀甲竹)]

杜若

  川や池の岸辺に石垣を築くときの補強として打ち込まれた杭が、長い年月を経て風雨にさらされ、朽ちて不揃いになっていった、水辺の趣ある風情を現したもの。

 

 

二の八 五管筒[段杭(亀甲竹)]

葉蘭

 

 

二の九 五管筒[稲妻(すす竹)]

山錦木

  大空にきらめく稲妻の景色を移しとったもの。@ABCDの筒と花が上下の流れでもって、稲妻の縦への広がりを捉えた筒の置き方。

 

 

二の十 五管筒[稲妻(ごま竹)]

  大空にきらめく稲妻の景色を移しとったもの。@ABCDの筒と花が左右の流れでもって、稲妻の横への広がりを捉えた筒の置き方。

 

 

二の十一 五管筒[飛留(銅)]

這柏槇(別名:そなれ)、伽羅木、つつじ、椿、銀葉(別名:おおうらじろのき、やまなし)

  @ABの筒を天地人(体用留)の三角に置き合わせ、それとは一定の空間をあけてCDの筒を置き、「飛留」として捉えた筒の置き方。

 

 

二の十二 五管筒[飛留(しゅみ竹)]

葉蘭

 

 

二の十三 五管筒[不二(真竹)]

斑入り立ち柏槇(三光杉)、伽羅木、菊

  @の筒を山頂として、ABCDの筒を左右に置き合わせ、富士などの山の情景を見立てる。

 

 

二の十四 五管筒[天の原(すす竹)]

さんしゅゆ

  「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という、唐に渡った阿倍仲麻呂が詠んだ句に想いを交わせる。広々とした大空を、はるかに仰ぐと月が美しく輝いている、それは私の故郷、春日の三笠山にかかる月と同じ月なのだ。時代と場所を越え、美しい月を想わす花を挿ける。

 

 

二の十五 五管筒[初霞(真竹)]

梅、鬼縛、翁草、貝母、おだまき、勿忘草

  新春の野山にたなびく霞。その初霞を通して、花や草木がちらちらと顔をのぞかせる、春の情景を見立てる。

 

 

三の一  三管筒[太極]

伽羅木

  天地、陰陽という両極のものが分かれる以前(父母未生以前)にあった「太極」、根源的な状態を現す。よって、三つの筒を正面から捉えたときに、一つの筒に見えるように真直ぐに置き合わせる。それぞれの筒に挿ける花も、「太極」の理に通じ、一に帰するような心持ちで一体感をもたせて挿ける。

 

 

三の二 三管筒[両儀]

伽羅木、赤芽柳

  根源である「太極」から、陰陽という二元対立の世界に分かれた「両儀」の状態を現す。この相対的な関係が生じることで、万物万象は「働き」という作用的な要素をはらむこととなる。天地が並び立つように、陽性である@天の筒と、陰性であるA地の筒を、分離した状態として間を空けて置き合わせ、陰陽それぞれ違う種類の花を挿ける。 @天とA地の筒の前には、B人の筒を隙間を空けずに、少し重ねて置き合わせる。B人の筒は、未だ生じていない「未生」の状態を現すため、花を挿けずに水だけを張っておく。もしくは「陰陽未分」を現すために、主位客位の区別などもつかないような「未生の花」を挿ける。

 

 

三の三 三管筒[三才](主位)

伽羅木、赤芽柳、葉蘭

  「天地人」という「三才」の現象を現す。「太極」(根源)は「両儀」(天地・陰陽)に、そして三才(天地人・陰陽和合)へと変化する。この天地人という「三才」は、万物万象の姿が完成された状態である。この「三才」が開いたことで、「五行」へと転じ、更にさまざまな現象が生じていくこととなる。@天A地B人の筒を、正三角形に正しく置き合わせる。このとき、それぞれの筒に間を空けても構わない。陰陽消長の理を現し、陽性である@天の筒には、陰性である横姿の花を挿けて「陽中陰」とする。一方、陰性であるA地の筒には、陽性である立姿の花を挿けて「陰中陽」とする。B人の筒に挿ける花は、万物が見せる多種多様な相を現すために、立姿や横姿と陰陽さまざまに変化させる。全体でもって、自然の多様な現象を感じ取れる花の姿とする。

 

 

三の四 三管筒[右旋 左旋]

錦木、貝塚伊吹

  「右旋」「左旋」の置き方は「活動」を現す。天は陽であり、そのために左旋する。一方、地は陰であって右旋する。東洋で捉えた「左旋」は、現在の西洋的な見方での「右回り」である。@天の筒から、A地の筒そしてB人の筒へと現在の「右回り」に置き合わせた状態が「左旋」となる。筒の置き方が左旋(客位・陽性)であれば、挿ける花は右旋(主位・陰性)とする。すなわち、@の筒には主位の花を挿け、全体においても主位の花が過半数を占めるようにする。万物活動の姿を現すのに、動静・強弱と変化をつけて花を挿ける。

 

 

三の五 三管筒[左旋(雲紋竹)]

石榴、実葛(別名:美男葛)、ほととぎす

 

 

三の十 常盤三管筒[子持ち三管筒(真竹)]

エニシダ、テッセン

  三管筒の@の筒に中窓、そしてAの筒には洞を持ち、合わせて五カ所に花を挿けることができる三管筒。変わることなく、古いもののなかから、常に新たなものが内に芽生え生じていく様を現し、その姿から「子持ち三管筒」ともいう。

 

 

三の十一 常磐三管筒[子持ち三管筒(亀甲竹)]

貝塚伊吹、菊、リューカデンドロン

 

 

三の十二 常盤三管筒[子持ち三管筒(しゅみ竹)]

寒桜   抜け生け

 

 

三の十三 常盤三管筒[子持ち三管筒(すす竹)]

伽羅木、しろつめくさ、椿

 

 

四の一 轡[御所車]

なつはぜ、牡丹

  「御所車」は、平安時代に貴人が乗っていた牛車を見立てたもの。まず、タコガシラの輪の先が外側に向くように、轡のカガミを両方とも垂直に立てて御所車の車輪とする。このとき、御所車を引く牛とつなげるためのハミガネを、三角の形でもって前方外側に飛び出すように、かつ先端が下に向くようにして組む。そして二つのヒキテを、それぞれカガミ(タコガシラ側、後方の上部穴)の穴から内側に通して、向こうがわのカガミ(ハミガネ側、前方の上部穴)に引っかける。このとき、そのヒキテ先の輪でもって、向こうがわのハミガネ根もとの輪、ヒキテ根もとの輪、カガミの軸(前方の上部)とに、それぞれ絡み合うようにして止める。

 

 

四の二 轡[兎、花車]

馬酔木、楓、竹島百合、都忘れ

  「花車」は、百花斉放いっせいに咲き誇ったたくさんの花々を、箱や籠に挿して優美に飾りつけた車を見立てたもの。まず、タコガシラの輪の先が外側に向くように、轡のカガミを両方とも垂直に立てて花車の車輪とする。このとき、 花車の器に見立てるハミガネを、三角の形でもって後方内側にしまい込むように、かつ先端が上に向くようにして組む。そして、二つのヒキテを、それぞれカガミ(タコガシラ側、後方の上部穴)の穴から内側に通して、向こうがわのカガミ(ハミガネ側、前方の上部穴)に引っかける。このときのヒキテは、ハミガネの下を通っていく。また、そのヒキテ先の輪でもって、向こうがわのハミガネ根もとの輪、ヒキテ根もとの輪、カガミの軸(前方の上部)とに、それぞれ絡み合うようにして止める。   「兎」は、轡のハミガネを兎の頭に、カガミを胴体に、そしてタコガシラを前足に、ヒキテを両耳に見立てたもの。まず、タコガシラの輪の先が下にくるようにカガミを裏向けにし、両方のカガミを内側半分ずつ重ね合わせる。このときハミガネを三角の形でもって、タコガシラ側に向け、兎の頭とする。そして、両方のヒキテを兎の両耳として、カガミ(タコガシラ側、重なっている前方のカガミ穴)の下より上に引き上げて、兎の頭であるハミガネ三角のところに、それぞれヒキテを左右交差させて組む。

 

 

四の三 轡[水鳥、浮蛙]

杜若、シペラス、なでしこ

  「水鳥」は、水の中に首を入れて、餌を探しながら泳いでいる水鳥の姿を現したもの。轡のハミガネを水鳥の頭に、カガミを胴体に、そしてタコガシラを尻尾に、ヒキテを両足に見立てる。まず、タコガシラの輪の先が上にくるようにカガミを表向けし、両方のカガミを内側半分ずつ重ね合わせる。このときハミガネは三角の形でもって、下に向くようにし、水鳥の頭が水中にある様を現す。そして、両方のヒキテを、カガミ(タコガシラ側、重なっている後方のカガミ穴)の上から下に引き通して、タコガシラの輪の下にくるように、それぞれヒキテを左右交差させて据える。  「浮蛙」は両手を伸ばし、両足で水を勢いよく蹴って浮いている蛙の姿を現したもの。轡のハミガネを蛙の頭に、カガミを胴体に、そしてタコガシラを両手に、ヒキテを両足に見立てる。まず、タコガシラの輪の先が下にくるようにカガミを裏向けにし、両方のカガミを内側半分ずつ重ね合わる。このときハミガネを三角の形でもって、タコガシラ側に向け、蛙の頭とする。そしてヒキテは、蛙が水を蹴って両足を伸ばしている様を現すように、後方へと流し据え置く。

 

 

四の四 轡[掛轡、亀]

太藺、なでしこ、都忘れ、なつはぜ、ブバルディア

  「掛轡」は、広口や馬盥の縁に掛けて据え置く使い方。轡の一方のカガミを器の隅に安定するように置き、このヒキテは器の中に入れておく。そして、もう一方のカガミを器の外側に立て掛けて据え、このヒキテは全体のバランスがとれるように用いる。   「亀」は、轡のハミガネを亀の頭に、カガミを甲羅に、そしてタコガシラを後足に、ヒキテを前足に見立てたもの。まず、タコガシラの輪の先が下にくるようにカガミを裏向けにし、両方のカガミを内側半分ずつ重ね合わせる。このときハミガネを三角の形でもって、前方外側に飛び出すように向け、亀の頭とする。そしてヒキテを、カガミの下で左右交差させ、ヒキテ先の輪を前方外側に出して、亀の前足とする。手足ともに短い亀の姿を現すものなので、タコガシラ・ヒキテともに短く見せておく。

 

 

四の五 轡[御所車、花車、水鳥(水陸草物)、兎(陸草物)、亀(水陸草物)、浮蛙(水草物)、掛轡]

寒桜、あきぎり、すすき、藤袴(赤、白)、杜若、布袋草、ダリア

 

 

四の六 轡[亀、兎、水鳥]

木賊、藤袴、杜若、行李柳、椿、ヤブサンザシ、菊、万年青

 

 

四の十 飾り石[三石(天石、地石、人石)(守護石、礼拝石、安居石)](客位)

芦一色(主位)

  「天石」は天の位にして陽であり、万物を守護する意でもって「守護石」ともいう。この天石には、天に向かって堂々と屹立した形の石を選んで用いる。「地石」は地の位にして陰であり、天石を拝することから「礼拝石」ともいう。この地石には、平たい形をもった石を選んで用いる。「人石」は、天と地の和合によって生じた和合石であり、人の位にして陰陽和合である。天と地の下で安らかに住する意でもって「安居石」ともいう。大きくも小さくもない中庸の、不立不臥の姿をもつ石を選んで用いる。

 

 

四の十一 飾り石[五石(天石、地石、人石、陰石、陽石)](客位)

糸すすき、藤袴、たで、水引草(赤)、ほととぎす、ハシカンボク(別名:野海棠)、大文字草、梅ばち草、花らっきょう(主位)

  天地人の三石に、二石を加えて五石飾りとするとき、あとの二つの石は、本末を示す「陰石」と「陽石」である。この陰陽の二石は左右対称する石であり、日本という国土創造の二つの神を現すことから「二神石」ともいう。大小、高低、そして左右対称する姿をもつ石を、陰石・陽石としてそれぞれ用いる。

 

 

四の十二 飾り石[七石(天石、地石、人石、陰石、陽石、不動石、客珠石)]

万年青

  天地人陰陽の五石に、さらに二石を加えて七石飾りとするとき、加える二つの石は「不動石」と「客珠石」である。「不動石」は不動として、天石である守護石の後ろ盾となる石である。この不動石は、天という真理の内奥にある「未生」の姿と捉えることができる。すなわち視覚に現すことのできないものを、形として示す「大虚」である。また、「客珠石」は、人石である安居石と相対する石であり、安居石の客座として定まったものである。

 

 

四の十三 飾り石[七石(天石、地石、人石、陰石、陽石、不動石、客珠石)]

秋の七草 — 女郎花、すすき、桔梗、なでしこ、藤袴、葛、萩

 

 

四の二十 五徳留め

 

 

四の二一 五徳留め、蟹[上り蟹(陽)(客位)]

馬酔木、ヤブサンザシ(主位)

  主位の花(陰の花)を挿けるときには、花留の蟹を客位「陽の上り蟹」とする。「陽の上り蟹」とは、背中(陽・表)を見せて、向こうを向く蟹である。

 

 

四の二二 蟹(大)[上り蟹(陽)(客位)]、蟹(小)[下り蟹(陰)(主位)]

山鬼灯(主位)、なでしこ(客位)

  主位の花(陰の花)を挿けるときには、花留の蟹を客位「陽の上り蟹」とする。「陽の上り蟹」とは、背中(陽・表)を見せて、向こうを向く蟹である。一方、客位の花(陽の花)を挿けるときには、花留の蟹を主位「陰の下り蟹」とする。「陰の下り蟹」とは、腹(陰・裏)を見せて、手前を向く蟹である。

 

 

五の一 沖往来の船(唐船・出船)、沖往来の船(出船)、掛り船、渚往来の船(入船)、停り船、置き船

水仙、藤袴、蔓梅擬、忍冬(別名:すいかずら)、なでしこ、菊、貝塚伊吹、やまぼうしの実、スモークツリー、谷渡、松、すすき、杉、百両(別名:からたちばな)、シンフォリカリポス

  「沖往来の船」(舟の三景)は、遙か沖合を航行する船の姿を見立てる。帆を大きく張って風力によって航行するので、船を漕ぐ櫓は使われることはなく海上よりも上にある。そのため、船を漕ぐ櫓を現す「艫花」である横姿の花は、船花器より下がりすぎないようにする。そして、「帆花」を立姿にして挿ける。遠景の様を移したものであるので、花は「帆花」「艫花」ともに霞花の風情で、かすんで見えるように挿ける。尚、ここでの沖往来の船(出船)は、はるか遠方の景である「唐船」よりも高く釣り、よって横姿の「艫花」を完全にかすんで見えないものとして見立てている。   「渚往来の船」(舟の三景)は、陸近くを航行する船の姿を見立てる。船の帆を現す「帆花」を立姿に、そして船を漕ぐ櫓を現す「艫花」を横姿にと、この「帆花」「艫花」ともに形・法格をしっかり守って挿ける。艫を漕いで進む船の姿を現すものであるので、「艫花」は船底よりも下げて挿ける。   「掛り船」(舟の三景)は、沖合に船の碇を下ろして、停まっている姿を見立てる。このとき、船の帆は下ろし、また櫓も船中に上げてあるので、よって「帆花」「艫花」ともに挿けることはない。碇を下ろしている姿を現すものの、水中にある碇は見えることはない。また船が魚を捕るために下ろしている網も、水中にあるので見えない。ただ、これらの姿を心眼でもって見てとり、「網花」という花を挿ける。「網花」の花は、船花器の後ろ向こう側より、船底を潜らせて手前へ降り出して挿ける。

 

 

五の二 沖往来の船(唐船・出船)、沖往来の船(唐船・入船)、沖往来の船(出船)、掛り船、渚往来の船(入船)、停り船、置き船

杜若、孔雀草、蔓梅疑、風船かずら、東雲ほととぎす、貝塚伊吹、伽羅木

  常の船を現す「常船」に対して、「唐船」は、大海を行き交う唐風の大船で、大きな房がついた豪華な船である。「唐船」に花を挿けるときには、房を邪魔することのないように、船を漕ぐ櫓を現す横姿の「艫花」を挿けることはない。「唐船」は外国の船であるので、遠景の景色を移しとるため、最も高く釣って用いる。   沖(陽)に向けて帆を張り、「帆花」を立姿に、そして「艫花」を横姿に挿けた船を「出船」といい、港を出て航行する船を現す。一方、渚(陰)に向けて帆を張り、「帆花」を立姿に、そして「艫花」を横姿に挿けた船を「入船」といい、港へ帰ってくる船を現す。   「停り船」は、船が港近くで停船している姿を見立てる。このときの船は、帆を下ろして、船を漕ぐ櫓も上げているので、よって「帆花」「艫花」としての花は挿けない。その代わりに、船首である舳先の方へ横姿を一株挿けて、櫓を上げて船が停まっている姿を現す。   「置き船」は、陸に引き上げられた船を見立てる。碇・鎖・花台・敷板を使って据え置き、船の帆を現す「帆花」を立姿にして一株挿ける。また、半横姿の花をもう一株挿けて、船中に引き上げられた櫓を現しても構わない。

 

 

五の三 置き船(和物・籠船)、釣り船(唐物・銅船)

屋久島すすき、下野、縞すすき、ミシマサイコ、吾亦紅、深山りんどう、ほととぎす

 「銅船」は、船の形をした銅製の器で、釣紐が鎖になっており、竹の船よりも少し小さい船である。そのため、この「銅船」には、きゃしゃな花を小振りに挿ける。船中の板より水が上がってしまえば船は沈んでしまうことから、中にある板銅より上に水を足してはならないとされている。

 

 

五の四 置き船(常船)

這柏槇(別名:そなれ)

  「常船」は、船首である舳先がとがり、船尾である艫が切ってある、海上を行き交う普通の船を象ったものである。   「置き船」は、陸に引き上げられた船を見立てる。碇・鎖・花台・敷板を使って据え置き、船の帆を現す「帆花」を立姿にして一株挿ける。また、半横姿の花をもう一株挿けて、船中に引き上げられた櫓を現しても構わない。

 

 

五の五 大釣り船(銅船)

談山神社 拝殿(朱塗舞台造)回廊   まるばのき(別名:秋万作)、ゆうすげ、類葉牡丹の実

 

 

五の六 砂張釣舟花入

  室町時代の後期に流行した、砂張の釣舟花入である。砂張は、銅90%と錫10%の合金で、その配合具合によって色合いに微妙な変化が生じる。鋳造の鋳上がりの後に、表面を打ちたたいて味をつけて形付ける、よって若干薄手のものとなる。砂張の釣舟花入で、「天下三舟(淡路屋舟、針屋舟、松本舟)」、それに加えて「天下五舟(平舟・茜屋舟)」が大名物とされている。この釣舟花入は、幅が広く雄大な美をもつ天下三舟の「針屋舟」の写しである。 

 

 

五の十 井筒附の釣瓶[釣瓶(上-角-陽)・釣瓶(下-平-陰)]

萩、桔梗、えのころぐさ、すすき、女郎花、吾亦紅

  「井筒附の釣瓶」は、井筒の後方の木に取りつけた滑車に釣瓶縄をかけて、釣瓶を上から吊るし、そしてもう一つの釣瓶を井筒の上に置いて用いたものである。このとき、二つの釣瓶を釣瓶縄で互いに結び、途中で後方の木にも絡みつかせることで上の釣瓶を安定させる。「角」をみせた「陽」の釣瓶は上に吊り、ここには垂物の花を横姿にして挿ける。そして「平」にした「陰」の釣瓶は井筒の上に置き、ここには立姿の花を挿ける。上の釣瓶に主位の花を挿けたときには下の釣瓶は客位の花とし、上の釣瓶に客位の花を挿けたときには下の釣瓶は主位の花とする。井戸より上に上げられた方の釣瓶は水が入っておらず、空の状態になっている。よって、上の釣瓶の水が見えないように注意する。一方、下の釣瓶は四季に応じて足し水をする。

 

 

五の十一 井筒附の釣瓶[釣瓶(上-角-陽)・釣瓶(下-平-陰)]

蔓梅擬、菊、玉しだ、ヤブソテツ

 

 

五の十二 井筒附の釣瓶[釣瓶(上-角-陽)・釣瓶(下-平-陰)][桶、盥、手水壺(銅)、和傘]

  あけび、木賊、時計草、女郎花、すすき、桔梗、藤袴、萩、日蔭の蔓

 

 

五の十三 置釣瓶  [釣瓶(上-角-陽)・釣瓶(下-平-陰)]、釣瓶縄(左旋-陽)

行李柳、なでしこ

  「置釣瓶」は、釣瓶を二つ重ね置いて用いる。上の釣瓶は「陽」として「角」を見せ、下の釣瓶は「陰」として「平」に置く。天をはじめ物質の上方は陽性であり、一方、地をはじめ物質の下方は陰性であることによる。上(陽)の釣瓶には向こうの角より花を立姿にして挿け、下(陰)の釣瓶には手前の角より花を横姿にして挿ける。置釣瓶の敷物としては、井戸に使う滑車や釣瓶縄を用いる。陽性である天円は左旋し、陰性である地方は右旋する。上の釣瓶に主位(陰性)の立姿の花を挿けたとき、敷物にする釣瓶縄は内側から時計回りに、左旋(陽性)に巻いて用いる。一方、上の釣瓶に客位(陽性)の立姿の花を挿けたとき、敷物にする釣瓶縄は内側から反時計回りに、右旋(陰性)に巻いて用いる。

 

 

五の二十 花車

紅葉、紫陽花、アンスリウム、鶏頭、ノイバラの実

 

 

五の二一 花衣桁  

[神鏡、払子、青磁香炉、砂張釣花入(真)、白磁広口(真)、しゅみ竹花入(草)、木胎拭漆器(草)]

さんきらい(別名:サルトリイバラ)、藤袴、サルビア、吉祥草、水仙

 

 

五の三十 卓(すす竹、青磁香炉)

杜若

  「卓」は万物の根源である一なる「太極」から、天地・陰陽という「両儀」へと開いた状態を現す。「太極」から「両儀」へと変化したとき、「暖」の気は昇って天となり、一方「寒」の気は降りて地となった。よって、天板には陽性である火を置き、一方の地板には陰性である水を置く。つまり、「卓」の天板には火を用いる香炉を飾り、一方の地板には水が入った花瓶を置いて花を挿ける。

 

 

五の三一 卓(真竹、銅香炉)

芦、蓮(立葉、浮葉)

  卓には、宇宙の間にはじめて一物が生じた姿にして花を挿ける。理念である体を「性」といい、働きである用を「情」という。この性情という、根本的な成り立ちとその働きに想いをかたむけ、四方に障りがないように、陰陽和合・虚実等分・天地自然の理を感じて花を挿ける。

 

 

五の三二 四柱卓(根来塗、銅香炉、銅花器)

水仙

  卓の正式な真の卓は四つの柱をもつもので、この柱でもって東西南北の四方を現す。二つの柱の卓は、略式のものである。正式な卓である四柱卓で真の飾りを行うときは、四季通じて芦を用いることとされている。

 

 

五の四十 屏風飾り[籠花入(蛇籠、魚籠、落葉籠、鉈鞘籠)、竹花入(尺八)、手附銅器]

  野竹、りんどう、こえびそう(別名:ベロペロネ)、萩、サルビア、蔓梅疑、しらさぎかやつり(別名:しらさぎすげ)、まつむらそう、なでしこ、ほととぎす、小菊、猫の髭、うつぼ草、やぶ蘭、きんらんじそ(別名:コリウス)、秋明菊、にがうり(別名:ゴーヤ)、破れ傘、梅ばち草、じゅずさんご、檜扇の実

 

 

五の四一 花屏風、盛り物飾り[煎茶荷籠、提藍]

[急須、涼炉、炉台、鳥府(炭取)、火箸、炉扇、瓶敷、茶心壺(茶入)、仙媒(茶合)、水注、巾盒、茶巾、箸瓶、茶夾、急須、急須台、茶碗、茶托、煎盆、一文字盆、滓盂、納汚(建水)、洗瓶]

  蝦夷りんどう、桜たで、なでしこ、丹後さらしなしょうま、ほととぎす、桔梗、とりかぶと、りんどう、鶏頭、吾亦紅、大文字草、桑の実、栗

  煎茶荷籠 - 煎茶道具一式を納めて携行するための、一対の容納具。   提藍 - 主に野点で用いるもので、煎茶道具一式、または酒飯の類いを収納するもの。

 

 

 

五の四二 盛り物飾り[器局]

[急須、涼炉、炉台、茶心壺(茶入)、仙媒(茶合)、水注、巾盒、茶巾、箸瓶、茶夾、急須、急須台、茶碗、茶托、煎盆、一文字盆、滓盂、納汚(建水)、洗瓶、茶具褥(茶具敷)]

  万年青、百合根、松、柚子、柿、栗、石榴、あけび、ぶどう、さんきらい(別名:サルトリイバラ)

  器局 - 室内において、煎茶道具一式を収納するための、前扉つきの容納具。

 

 

五の四三 盛り物飾り[行器]

  いがぐり、からす瓜、松茸、錦木、ノイバラの実、蔓梅疑、嵯峨菊、りんどう、ひごたい、野紺菊、アスター、菊、スプレー菊、鶏頭、木苺、コスモス、吾亦紅、なでしこ、貝塚伊吹

  行器 - 酒飯の類いを納めて携行するための、一対の容納具。

 

 

五の四四 盛り物(談山神社・談い山)

  松、石榴、柚、花にら、キュウリ、パプリカ、ゴーヤ、白なす、瓜、賀茂なす

 

 

五の五十 筧

  行李柳、日蔭の蔓、しらさぎかやつり(別名:しらさぎすげ)、木賊

  筧 – 自然から水を引いてくるために設けられたもの。竹柱を立てて、その上に木片の駒頭(こまがしら)を付け、先端に水口となる竹筒を取り付ける。

 

 

五の五一 歌花筒(ゴマ竹)、 螺鈿広口

  紅葉、杜若、水仙、鶏頭、ほととぎす、野海棠(別名:ハシカンボク)、大文字草(白糸の滝)、日蔭の蔓、菊、冬の花わらび

  歌花筒は、竹筒に切れ込みを入れて、上部に短冊や扇子を飾り付けることができるようにしたもので、下筒には花を挿ける。短冊や扇子の書・画は、そのときの時候や行事に合うものを用いる。掛物に画いてある花や花の辞を避けて、草花を挿ける必要がある床の間の扱いを「真」とするならば、歌花筒は「草」の扱いで用いて構わない。野外の野点における、略式の床の間とも捉えることができる。   広口に加飾されている螺鈿は、夜光貝・あわびなどの貝類を板状にして、文様に切り取って貼り付けたものである。

 

 

古典ファイル U

 

六の一 銅花器[祭器(鼎、爵、尊、觚)]

山錦木

 

鼎 - 獣肉を煮るための器。   
爵 - 足元に火を入れて酒を温める酒器で、三脚・二柱・把手と、前方に流(飲み口)後方に尾が付く 
尊 - ラッパ状に開いた口をもつ、酒を入れておくための盛酒器。 
觚 - 爵で温めた酒を、飲むための器。

 

 

六の二 銅花器[爵、觚、薄端、手桶、鼎]

杜若

 

薄端 - 上皿の端が薄くなっており、その上皿を支える銅と足がついたもの。真と行の飾り付けにおいてのみ用いる。  
手桶 – 盥・馬盥と同様に、竹のタガで巻いて締めた「輪の入りたる器」と呼ばれる。「輪の入りたる器」は床に用いてはならず、床脇すなわち違い棚の下(台目)などに置いて扱う。ただし「真の花器」である銅器や、「行の花器」である土器のもので、品格のあるものであれば、床に用いても構わないとされている。

 

 

六の三 銅花器[釣瓶、角、き、船]

山錦木、水仙、蔓梅擬、山錦木

 

角 - 二柱・把手のない、三脚がついた酒器。   
き(たけかんむり良皿) - 穀物を盛るためのもので、両脇に大きな耳と、高台をもつ円形の器。 

 

 

六の四 銅花器[不遊環双耳銅花入、龍耳胡銅花入、古銅花入、龍耳唐銅花入、遊環獅子耳銅花入]

柿、百合、すすき、桔梗、ななかまど、菊、石化柳、りんどう、かりん、菊

 

 

六の五 銅花器[唐銅水盤、鍵耳唐銅花入、黄銅薄端、双耳青銅花入、三脚象足銅花入]

杜若、ほととぎす、エニシダ、菊、葉蘭、女郎花

 

 

六の六 銅花器[雪月花]

蔓梅擬、野路菊

 

「雪月花」は、冬の雪、秋の月、春の花と四季の美を指す言葉である。釣り手を雪に、そして丸い水盤を満月に見立て、雪・月・花という自然の美に想いを通わせて、花を挿ける。

 

 

六の七 銅花器[水鉢]

松、梅、百合

 

 

六の八 銅花器[広口]、竹花入

松(内用)、葉蘭(内用)、杜若、垂れ桜、熊谷草

 

 

七の一 竹花入[鶴五色:真鶴、立鶴、仙鶴、立鶴、真鶴]

葉蘭(葉、出生葉)

 

 

七の二 竹花入[鶴五色:立鶴、真鶴、真鶴、立鶴、仙鶴]

葉蘭、エニシダ

 

 

七の三 竹花入[立鶴、登猿の曲、立水虎]

石化エニシダ、秋明菊、錦木、さんきらい(別名:サルトリイバラ)、石化エニシダ

 

立鶴 - 真鶴が、両足を伸ばして立っている姿をあらわす。   
登猿の曲 -樹木を登っていく猿の姿を想わす「登猿」の変化で、中段にも花を挿けることができるようになっている。   
立水虎 -水虎(河童)が、両足で立っている姿をあらわす。

 

 

七の四 竹花入[登猿の曲]

行李柳、野茨の実、馬酔木

 

 

七の五 竹花入[鶴、天つ空、亀]

どうだんつつじ、萩、水引草、眉刷万年青

 

天つ空 – 扇を開いたときのように、天上に広がった空の美しさを見立てたもの。竹筒の上部に扇子を飾り付けることができ、中段が「日」「月」にくり抜かれ、「相生」形の下筒に花を挿ける。

 

 

七の六 竹花入[天の原]

どうだんつつじ、金水引、深山南天、庭ななかまど(珍至梅)、姫ひおうぎ

 

天の原 – 天上界に通じるかのように、広がった空の美しさを見立てたもの。中段が「日」「月」にくり抜かれ「相生」形となっている、三重の竹花入である。

 

 

七の七 竹花入[立鶴、真鶴、立水虎]

錦木、秋海棠、雁金草、ハンカチの木、石榴、蓮

 

 

七の八 竹花入[亀、鶴、氷柱、連貫、稲塚]

杜若、葉蘭、エニシダ、杜若、すすき、なでしこ

 

連貫 – 長い竹筒の下部をくり抜いて、そこに短い筒が入り込むようにしたもので、竹筒二本でもって一つとした花入。節は長い筒に一つ、短い筒に一つと、それぞれ合わせて二つであるが、節は「二本にて三つあるべし」とされている。つまり、二つの筒が重なるところを節と捉えるのである。   
稲塚 – 刈り取った稲を乾燥させるために、積み上げておく稲塚を見立てたもので、竹の根の部分で作った花入。

 

 

七の九 竹花入[氷柱]

行李柳

 

氷柱 – 氷のしずくが凍って、軒先などに垂れ下がった氷柱を見立てた花入。

 

 

七の十 竹花入[窓の月]

行李柳、秋明菊

 

窓の月 – 中段を「月」と、少し開けた「窓」にくり抜いた、二重の竹花入。

 

 

七の十一 竹花入[二重櫓]

斑入り立ち柏槇(三光杉)、蔓梅擬

 

二重櫓 - 弓を射たり遠方を見渡すのに、材木を高く組んだ櫓であるを見立てた花入。

 

 

七の十二 竹花入[曲 二重櫓]

 

 

七の十三 竹花入[ごま竹、亀甲竹、真竹、すす竹、しゅみ竹]

伽羅木、葉蘭、エニシダ、りんどう、行李柳、錦木

 

 

七の十四 竹花入[立鶴(しゅみ竹)]

白沙村荘 倚翠亭 床の間   葉蘭(葉、出生葉)

 

 

七の十五 竹花入[真鶴(しゅみ竹)]

日光山輪王寺 床の間   行李柳

 

 

七の十六 竹花入[三重竹花入(しゅみ竹)]

談山神社 拝殿(朱塗舞台造)回廊   吊り花

 

 

七の十七 竹花入[七重]

談山神社 本殿(三間社隅木入春日造)   枝垂柳、松、菊、りんどう

 

 

七の十八 竹花入[七重]

談山神社 木造十三重塔   貝塚伊吹

 

 

八の一 陶花器[瓦(土器)瓦(彩釉陶器 - 三彩)犀(彩釉陶器 - 緑釉)花車(灰釉陶器 - 白薩摩焼)]

ちがや(茅)、なでしこ、桜たで、女郎花、酔芙蓉

 

 

八の十 漆花器[蒔絵鼓胴 – つづみの胴]

水仙(控流し)

 

 

九の一 五重打ち抜き

這柏槇(別名:そなれ)、牡丹

 

 

九の二 五重打ち抜き

這柏槇(別名:そなれ)、嵯峨菊

 

 

九の三 五重打ち抜き

山桜、杜若

 

 

九の四 五重打ち抜き

山錦木、てっせん

 

 

九の五 五重打ち抜き

櫨、這柏槇(別名:そなれ)、嵯峨菊

 

 

九の六 五重打ち抜き

櫨、貝塚伊吹、菊

 

 

九の七 五重打ち抜き

山吹

 

 

九の八 五重打ち抜き、三重

這柏槇(別名:そなれ)、伽羅木、菊

 

 

九の九 五重打ち抜き、三重打ち抜き

錦木、山錦木、貝塚伊吹、山錦木、這柏槇(別名そなれ)、百合、りんどう

 

 

十の一 山野草

五重(真竹)・広口(青白磁)

山錦木、山野草

 

 

十の二 山野草

広口(青白磁)

杜若、蓮、梅ばち草、藤袴、八角蓮、みみかき草、大文字草、水芭蕉の出生、大吊花、白玉ほしくさ、ハンカチの木、とりかぶと(花・実)、四季咲き山吹草

 

 

十の三 山野草

五重(真竹)・広口(青銅)

藤、山吹、姫ひおうぎ、花蘇芳、花菖蒲、姫しゃが、春りんどう、鈴蘭、貝母、山吹草、菊咲き一華、宝鐸草

 

 

十の四 山野草

曲五重(真竹)・広口(白磁)

枝垂れ桜、どうだんつつじ、山吹、杜若、貝母、八角蓮、福寿草、おだまき、石蕗、勿忘草、姫やぶこうじ、キバナカタクリ、卯の花、サクラソウ、ミスミソウ、クモマソウ

 

 

十の五 山野草

広口(白磁)

(大輪)ねじばな、シンフォリカリポス、梅もどき、シダ、数珠玉、大文字草(白、ピンク)、銀香梅の実、えのころ草、ほととぎす、嵯峨菊、コバノランタナ(黄)、水引草(白)、アスター(赤)、露草、ルリマツリモドキ(ブルーサファイア)、下野(しもつけ)、黒ほしくさ

 

 

十の六 山野草

広口(白磁)

どうだんつつじ、真弓(実)、ナンバンギセル、花らっきょう、屋久島すすき、利休草、けいびあやめ、りんどう、キレンゲショウマ

 

 

十一の一 臥竜梅

盥(熊野)

梅(古木、若枝、ズワエ)   LectureV-7

 

臥竜梅は、江戸本庄亀井戸村にあった梅のことで、そのむかし水戸の徳川光圀公が、竜が臥しているようなこの梅の姿を「臥竜梅」と名付けたとものと言われている。この臥竜梅は、幹が地にわだかまり、その枝は垂れて地につき、そこからまた根を生じるような強い勢いのあるものである。  この臥竜梅を挿けるときは、先ず竜の臥したる如き曲のある大きな古木を横姿にして、五徳などで留めて広口の向こうの隅より手前の隅へと振り出して、水をまたいで土に潜っていくようにして用いる。そしてまた、その土より再び立ち伸びた幹を、別の枝でもって挿けるのである。この先の枝は、立ち上がるように挿けてもよいし、また再び土に進む勢いのあるように揉めて使ってもよい。  古木の根元である留のほうを竜の頭に、土より新たに生じた枝のほうを竜の尻尾に見立てるわけだが、この臥竜梅の大木が土に潜っていく様に、竜が臥しているかごとき勢いを見て取ることができる。また、強い勢いのある小枝を使って、竜の四肢や爪を現し、さらに梅の若枝(ヅアイ)を使って臥竜梅の勢いを強めたりとする。  この臥竜梅は、砂利留めにしたり、また飾り石を使って、大広口もしくは大小の広口二個を斜めに置き合わせて挿ける。万年青、水仙、福寿草など応合いの草花を、これに添えて挿けても構わない。  以上、梅の景色挿けとして、南性の梅、北性の梅、臥竜梅の三つの挿け方が伝書に記されているが、その他の梅の景色挿けとして、最後にいくつか挙げることとする。先ず「霞中の梅」は、早春にかかる霞を通して、これから咲く梅の香を感じるような心でもって、春分に白梅を挿けたものである。次に「凌雲梅」は、梅が雲を貫くように立ち上がった姿を移しとったもので、若枝であるズアエを三本特に高くして挿けたものである。また「雪中の梅」は、春を待たずに雪の中に先がけて咲く、梅の力強い姿を現したもので、雪割り草とも呼ばれる水仙をこれに応合って挿けたものである。

 

 

十一の二 水潜り

広口(銅)

赤芽柳、ほととぎす   LectureV-6

 

取り合わせや配合が良く、美しく調和する様を例えるものとして、「梅に鶯」「竹に虎」「竹に雀」「牡丹に唐獅子」「紅葉に鹿」という言葉があるが、猫といえばすぐに猫が玉を取る姿を思い浮かべる。  先ず、「猫柳玉取り」の挿け方として以下に述べる。猫柳の穂の銀毛は、猫の姿を思い出させる。この猫柳に玉を取って挿けるわけだが、この玉は体の後に体添の枝でもって玉の姿を備えるのが一般的である。しかしまた、用の下や留の下に取っても構わないともされている。  勢いよく伸びる出生をもつ猫柳は、伸びすぎた枝先が何かのはずみで下に垂れて、玉の姿が出来ることがある。この風情を移しとった挿け方である。この玉は大きすぎても、小さすぎても調和はなく、花の姿全体から見て玉の大きさを定めるものである。また柳の線の美しさを引き出すことに重点をおき、その応合いの花として添えるとすれば、葉物か草花に限られる。    次に、「猫柳水潜り」の挿け方として以下に述べる。川などの水辺に生じる猫柳の枝が長く伸びたり、また倒れたりして水中に潜って水に流される。そして、その枝先が再び水面に伸び上がる様を移しとった挿け方を「猫柳水潜り」という。  このとき花器は広口を用いて、水を現す黒い砂利と、陸を現す白い砂利を使って水陸を分ける。縦に川をとれば急流、また横にとれば緩やかな川の流れを表現できる。この陸を現す白石のところに、猫柳を用流しや留流しにして挿ける。そして、この流しの枝が水中を潜って、再びその枝先が水上に立ち上がってくる姿を表現するものである。このとき柳の枝を自然に水に潜らせ、またその立ち上がった枝先にも、自然の美を備えることが大切である。さらに水中のところへ、冬咲きの杜若などを応合ったり、また猫柳の根元に陸草や草物を応合って挿けたりとする。

 

 

十一の三 水潜り

竹花入(相生 - 浅江)、花台(流れ巻き足)

錦木、行李柳、アケボノソウ   LectureV-6

 

 

十一の四 桜散り残りたる景色

桜   LectureV-12

 

花器は台付きの広口を使い、三才または陰陽二石の飾り石をする。先ず飾り石の定法である天石のところへ、洞のある古木を使って古木扱いにして立ち姿に挿ける。このときの姿は、老樹の桜が自然にして、久しい時の流れを感じさせるような趣でもって、実の姿で挿ける。桜の古木がなければ、他の洞のある古木を用いてもよいが、このとき桜の皮を外したものを巻いて、桜の老幹の感じを作り出す必要がある。  次に、この古木の洞の中に、花が九輪ばかり付いた桜の枝を挿ける。日の当りの悪い洞の中では開花も遅れ、また風雨にさらされることもないので花が散るのも遅くなる。この桜を「花留桜」といい、散り残った桜の花をここに表現するものである。また九輪の花のついたものを使うのは、九は地の数であることに因る。大地の恵みのもとで、実の姿として桜が散り残った風情を現すのである。この「花留桜」以外には花を使うことなく、花の過ぎた姿の桜だけを使って挿ける。この洞を使って古木扱いをするところの、天石に挿ける大株の桜は、「実」にして「体」であるといえる。  そして、この大株の桜と谷間を分けて、若枝を横姿にして地石のところへ小株でもって挿ける。この若枝には花が程よく散り残ったものを使って挿ける。日当たりが悪いために咲き始めるのが遅く、そのぶん散るのも遅れた谷間に咲く桜を移しとるものである。この横姿に挿ける桜は法格を正しく守って挿け、すなわち「虚」にして「用」であるといえる。  実の扱いをする天石の花と、虚の扱いをする地石の花を広口のもとに移しとり桜散り残りたる景色を現す。すなわち、これは虚実等分・体用の挿け方である。そして最後に、瓶中・瓶外に桜の花を程よく散らして使い、桜散り残りたる景色を風情よく移しとる。  また置花器・薄端などに挿ける時も、体に古木を使って古木扱いとし、これに花の付いた枝を姿よく応合って桜散り残りたる景色を表現する。古木に若枝を添えて使うことで、生々流転する時間の流れを己の内に感じることができよう。  桜は「千早振る神代の頃、花を挿む事の始めに花瓶に移し給いしとなん。石上古き書に見えたり、是れ試に二本にては草木花中の主にて、蔵王権化のご神木なれば、是軽々しく取り扱うことを禁ず。」とあるように、古来より桜は花の王と称せられ、また日本の国花としても尊ばれている花である。

 

 

十一の五 蓮一色

蓮の葉[立ち葉(開葉、半開葉、巻葉、朽ち葉)、浮き葉] 蓮の花[開花、莟、蓮台-蓮肉-花托、朽ち花]   LectureV-14

 

泥の中に成育する蓮であるが、そのような中にあっても泥に染まることなく清浄な姿をもつ蓮は、諸仏の座するところとされ清い花として常に尊ばれてきた。蓮の花は荷華、また蓮の葉は荷葉ともいい、荷は蓮のことを指すものである。「蓮の出生は、荷葉といって、二葉一花を生じても、一葉は浮葉となって、すなわち水上には一花一葉を生じる。」と伝書にあるように、二葉の内の一葉は浮き葉となって水上に留まり根元を守り、そしてもう一葉は花と共に空中に伸び上がって花を守る。従って水上より上に見えるのは一花一葉である。この自然界にあって、一花一葉の出生をもつものは蓮だけである。  この蓮を挿けるときには台付きの広口を用いる。先ず定法の主株のところへ、大葉一枚を挿け、これに花を一輪だけ添えて挿ける。花は開花のものであれば葉よりも高く使い、また莟であれば葉よりも低く使って挿ける。この扱いは蓮の出生に沿ったものである。  次に半開の葉と巻葉を、これに添えて姿よく挿ける。本来この葉にも花があるはずであるが、半開・巻葉の状態では花は未だ水上には生じていない状態であるものとして、この葉に対する花を挿けることはない。またそれより魚道を分けて、浮き葉を大小二枚使って挿け蓮の出生の景色を移しとる。  このように挿けた蓮の一花を愛でて、過去・現在・未来の三世というものを明らかにするのである。つまり花は現世にして、その中に莟という過去の姿があり、又その中に蓮肉つまり果肉・種子があって未来の姿を含む。この蓮の一花という現在の姿を篤と見てとり、そして目前に見ることは出来ない莟や蓮肉という過去と未来を心眼でもって感じとるのである。  このように、現世に過去・現在・未来という三世が備わっているものは蓮以外にはないといえる。開花を現在と、莟を未来と、蓮台を過去と説く者がいるが、これは誤りである。開花は開いた花の現在、そして莟は莟の現在、また蓮台は蓮台の現在である。目の前にある厳然と在るものは現在であり、心眼をもって対象の奥にまで深く眼を向けてこそ、ようやく過去や未来が見えてくるものである。時間の概念を心眼で捉えて、蓮の一花の奥に潜む過去や未来を心眼でもって感じ取る。これが未生でいうところの、蓮の三世の挿け方である。  仏の教えは平等を説き、よって過去・現在・未来を問わず天地万物というものは時空・方位・大小・多少に関わらないものであって、また極楽浄土には過去・現在・未来の区別がない。時空を超越した姿を持つとされる蓮は、浄土の世界を象徴した花ともなっている。そしてそこでは観音様が蓮の花を持って出迎え、それぞれの魂は蓮の中に生れおちる。一人一人の罪業や善根により、この蓮の花が開く期間の長短が異なるともいわれている。  未生流の「体」は、天地の間にあって動かない万物一体の体である。そして「用」は四時に移り変わり千変万化して、また一なる体に帰っていく働きである。この体つまり万物の根元である「太極」が生じる前にあった「未生以前」の理を知り、草木を愛するこころを知る。未生流挿花は単に花を美しく挿けるだけのものではない。万物の根元にある最も大切なものは何かと模索する事、そしてまたそれを感じることに、花を挿ける意味があるといえよう。

 

 

十一の六 蓮-河骨-杜若-芦-沢瀉 五種

飾り石[五石(天石、地石、人石、陰石、陽石)]   蓮、河骨、杜若、芦、沢瀉   LectureV-27

 

 

十一の七 山吹玉川の景色

山吹   LectureV-1

 

この玉川は、山城の国の井手(現在の京都府綴喜郡井手町)にある、木津川に流れ込む小川のことである。奈良時代、この井手の地は橘諸兄の管轄地で別荘があった。そして諸兄は井手の左大臣と呼ばれていた。この井手の玉川は、どうしたわけか水量が乏しく、そのため水無川とも呼ばれていた。そこで諸兄は井手の玉川から庭に水を引き入れて、一面に山吹を植えた。それが玉川をはじめ、井手の邑に咲き誇るようになったので、いつしか山吹は井手の枕詞となり、多くの歌に詠われたものである。また、藤原俊成が新古今集で詠んだ「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川」という歌が有名である。 山吹玉川の景色は、この美しく流れる玉川に咲く山吹の情景を、広口に移しとったものである。水を現す黒の石と、陸を現す白の石を使い、流れの急な小川を表現するために、川を表現する黒の石は斜めに取る。そして、蛇籠(じゃかご)を二つ三つ用いて花を留める。蛇籠とは、丸く細長く粗く編んだ籠の中に、砕いた石などを詰めて、河川の護岸や水を防ぐものとして使われるものである。花留としての蛇籠は、中に砂や石を詰めて花を留めて使う。この花留の蛇籠の寸法は、長さ九寸・差し渡し三寸六分の大きいもの、長さ八寸・差し渡し二寸八分の中のもの、また長さ七寸二分・差し渡し二寸四分の小さなものと三種類あり、それぞれ広口に合わせて用いる。  山吹の花は、立姿と横姿を二株・三株・五株と広口の大きさに准じて挿けていく。立姿の主株は広口の定法のところ、すなわち天地人の天石に位置するところに挿ける。また一方、横姿の株は人石に位置するところに挿ける。この山吹は、枝が横に広がる出生をもつ。そこで、立姿として程よい山吹の枝を見立て、自然の枝を生かしながら風流に挿けることが大切である。玉川の水の流れに咲く山吹の美しさを愛すこころでもって挿けるものである。また水揚げの悪い山吹を挿けるにあたって、その根元にアルカリ性のみょうばんを擦りつけたり、酸性の酒に浸す等すると水揚げの効果がある。  この井出の玉川をはじめとして、歌枕としてよく詠まれる玉川には六つあり、あわせて六玉川とされている。三島の玉川・井出の玉川・野田の玉川・野路の玉川・調布の玉川・高野の玉川の六つで、それぞれの玉川の特徴を現した和歌や浮世絵がある。以下に詳細を述べる。  三島の玉川は、摂津国の玉川、現在の大阪府摂津市三島にある川で、別名「砧の玉川」と呼ばれている。「砧」とは布を柔らかくするときに使う木の台の事であり、浮世絵として、河畔で砧をうつ女性などが描かれている。また「見渡せば 浪の柵 かけてけり 卯の花咲ける 玉川の里」(後拾遺集)、「松の風 音だに秋は 寂しきに 衣うつなり 玉川の里」(千載集・源俊頼)のように、卯の花や衣を打つ様子が詠まれた歌が多く残っている。  井出の玉川は先ほども述べたが、山城の国の玉川、現在の京都府綴喜郡井出町を流れる川である。山吹の名所であり、浮世絵にも、山吹の咲く浅流を乗馬する様子などが描かれた。「駒とめて なほ水飼はむ 山吹の 花の露添ふ 井出の玉川」(新古今集・藤原俊成)「かはづなく 井出の山吹 ちりにけり 花のさかりに あはましものを」(古今集・読人不知)の歌などが詠まれている。  野田の玉川は、陸前国の玉川、現在の宮城県宮城郡母子川の末流で、別名「千鳥の玉川」と呼ばれている。砂浜を飛ぶ千鳥の群れなどが浮世絵に描かれている。「夕されば 潮風こして みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり」(新古今集・能因法師)と、絵と同様に、千鳥や潮風がよく詠まれた。  野路の玉川は、近江国の玉川、現在の滋賀県草津市野路にあり、琵琶湖にそそぐ小川で、別名「萩の玉川」と呼ばれ旅人たちの憩いの場だったと言われている。萩の花の咲く川に、月を投影した様子などが浮世絵に描かれた。「明日も来む 野路の玉川 萩こえて 色なる波に 月宿りけり」(千載集・藤原俊成)など、萩の花を詠んだ歌が多い。  調布の玉川は、武蔵国の玉川、現在の東京都調布市の多摩川である。綿織物の名産地で、女性が河畔で布さらしをしている様子などがよく描かれている。「たづくりや さらす垣根の 朝露を つらぬきとめぬ 玉川の里」(拾遺愚草・藤原定家)「多摩河に 晒す手作り さらさらに 何ぞこの子の ここだかなしき」(万葉集・東歌)等の歌が詠まれた。この歌の中の「手作り(たづくり)」とは、綿で織った布のことで、それを川にさらしている様子が詠まれたものが多い。  高野の玉川は、紀伊国の多摩川、現在の和歌山県奥院大使廟畔の小流である。また、死者生前の罪業を払う、流れ灌頂が行われる川である。浮世絵としては高野山中の渓流などが描かれている。また「わすれても 汲みやしつらむ 旅人の 高野の奥の 玉川の水」(風雅集・伝弘法大師)の歌が詠まれている。

 

 

十一の八 芒 三種

すすき(真麻穂、真蘇穂、政穂)   LectureV-20

 

芒に三種の挿け方の伝がある。花が白色で、穂の丈が一尺位と長く成長し、花の開いたシロススキを真麻穂(ますほ)の芒という。そして花が赤色で、穂の丈が一尺位のムラサキススキを真蘇穂(まそほ)という。また花が白色で穂の丈が五寸くらいの、未成長で花の開かない頃のシロススキを政穂(まさほ)という。この真麻穂・真蘇穂・政穂の三種の芒を使う挿け方である。  体に真麻穂(ますほ)、用に真蘇穂(まそほ)、そして留に政穂(まさほ)の芒を挿け、体の後添の位置にシロススキを円状に曲げて真麻穂と政穂で「月の座」をとる。この月の座とは月の形を表現するものではなく、そこに月を迎える場所を設けるものである。よって、月見の花として月を迎える心持ちでもって、この月の座をとるのである。  この芒三種は清く澄みわたった明月の時に挿ける花である。特に秋の季節、旧暦七・八・九月の中間にあたる八月の満月は、仲秋の名月として月見の好時節である。またこの月の座は月のない夜にはつけてはならない。  挿け方として、体に三本・用に二本・留に二本・月の座に二本と、合計九本程度使って挿ける。また穂についた生来の葉は大きすぎて風情がないので、穂のある茎を葉のある茎から切り離して適宜に組み合わせて使う。長すぎる穂は穂先をつまんで先を指で引きちぎると穂が短くなり自然にみえて、垂れ下がった穂も立ち上がる。葉は葉先のたれ下がったものは、その葉先を斜に鋏でそぎ上げる。芒の葉は二方向に出るので、方向が悪い時には、葉のさやの部分を指先で回して、葉先を思う方向に回すことができる。これを回し葉という。  月の座は葉でとる方法と、また穂でとる方法とがある。葉は自然に変曲して月の姿になっており簡単に月の座をとることが出来るが、いっぽう穂は曲げようと思ってもなかなか思うようにはいかない。先ず葉でとる方法として、体の後添あたりに軸付の葉があればよいが、なければ他の軸付の葉をひとつ体の後に添え、大きくひらりと後に下げて使う。次に、体の後の控えの位置に、真麻穂・政穂を大小各一本づつを添えて、この穂と上の葉とでもって月の座をこしらえる。  穂でとる方法としては、体の後添あたりに真麻穂を挿け、その長い穂をひらりと後に下げる。そして次に控の位置に短い穂である政穂を挿け、これを上に立ち上げて使う。穂を自由に曲げるために前日より、のりなどで穂をかためておくと曲をうまく作ることができる。  花の水揚げとしては、酢につけた後に火で焼く、また酢につけた後に深水に入れるなどの方法がある。この芒三種を挿ける時には、寸渡や薄端などの置物を見合わせて用い、必ず花台に載せて挿けるものである。

 

 

十一の九 牡丹「獅子隠れ」「花隠し」「爪隠し」

牡丹   LectureV-22

 

中国では百花王として、牡丹に勝る花はないとされている。また、菊・芍薬と共に三佳品のひとつにも数えられている。  この牡丹の挿け方であるが、「獅子隠れ」「花隠し」「爪隠し」の役葉を使う。「梅に鶯」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」などと調和する様がいくつも例えられているが、葉が密生する牡丹の陰には、獅子が潜んでいることを想わせるように、「獅子隠れ」「花隠し」「爪隠し」の葉を使うのである。  先ず、用に勢いのある葉を「獅子隠れ」として数多く使って挿ける。この密生する葉の陰に、獅子が隠れているかのような様をもってして挿けるのである。そして用には、満開の花を、葉に載るようにして挿ける。  次に南天の木など、黒ずんだ幹をもつ黒木を長短に二本使って、その黒木に添わして半開の花を体に使って挿ける。この花についた葉を「花隠し」という。花隠しは獅子の象徴である鼻を隠すに掛けたものであり、この体の辺りに獅子の顔が見え隠れするような様を持たせるのである。  また留には蕾を挿けて、切葉をたくさん使う。この小さく切った切葉を「爪隠し」といい、獅子が爪をしのばせているような様を表現するのである。  用に満開、体に半開、そして留に莟を用いるのは、自然の陽の気が、用から体そして留の順に巡っていくという原理原則を現すものである。   この牡丹には、薄端、広口、また特に手附の大籠がよく合うとされている。また牡丹は、四・五月頃に咲く「春牡丹」が一般的だが、八月頃より咲く「冬牡丹」がある。これを別名で寒牡丹ともいい、花・葉ともに艶しく、花の軸が短いので扱いは難しい。この冬牡丹の挿け方も、春牡丹のそれと同様である。

 

 

十一の十 遠山霞

ななかまど、なでしこ   LectureV-3

 

微細な水滴が空中に浮遊して空がぼんやりして、遠方がはっきりと見えなくなる春の現象のことを霞(かすみ)という。またそのような秋の現象のことを霧という。この霞は、穏やかな春の日の明け方や夕方ごろによく生じる。  この遠山霞は、霞が遠方の山々に帯状にかかって、雲のように見える景色を移しとったものであり、よって春に挿けるものである。二重切もしくは三重切の花器を使い、上口には草花を挿け、下口には木物を上口の花よりも高く挿ける。  先ず、上口に挿ける草花は、山の上に咲く草花を山の下より見上げたものとして、遠くかすんだ景色を現すように、花や葉が明白に分かりにくい「霞花」の風情で挿けるものである。小菊などを上口に挿ける時は、この「霞花」の風情で、小さく切り葉にした葉を主体にして、莟・半開のものがちらちらと見え隠れするように挿ける。とにかく、この上口に挿ける草花は、葉が小さく、そして数もしっかりしていないような花材がふさわしい。  次に、下口に挿ける木物は、上口に挿けた草花より高く使い、霞がかかる遠山の景色を移し取って挿ける。下口に挿ける木物の留のほうは近景を、また体のほうは遠景を表現するもので、この体の懐あたりにかけて霞がたなびく風情が感じとれるようにして挿けるものである。

 

 

十一の十一 深山幽谷

杜松、錦木、ヤブサンザシ、りんどう、吾亦紅、菊、つわぶき、えのころ草、たで

 

 

十二の一 分性体[送り添]

どうだんつつじ

 

 

十二の二 二種・三種挿け

伽羅木、椿、菊、赤芽柳、トルコ桔梗、ワックスフラワー、くろもじ、バンダ、南天、赤芽柳、トルコ桔梗、槇、菊、葉蘭、孔雀草

 

 

十二の三 交ぜ挿け(伽羅木、蔓梅擬)

竹花入[すす竹、亀甲竹、真竹、しゅみ竹、ごま竹]

伽羅木、蔓梅擬、行李柳、芦、蓮、貝塚伊吹、なでしこ、伽羅木、蔓梅擬

 

 

十二の四 原一旋転

ぶな(熊野古道)   LectureT-12

 

「原一旋転」とは一なるものを原初にたづねて旋転する。つまり万物の一なる本質に近づくことを意味する。華道未生流を学ぶにあたっては、花を挿けることを単に目の前の慰み、表象的なものとのみ捉えるのではなく、草木の出生を理解し、その内奥にある本質とは何かを一心に考えることが肝要なのである。  草木は春夏秋冬、四時の陰陽消長、さらに寒暖の季節に応じて、五行の気を等分に受けて生じたものであるため、私心はなく天の道に正直に従うものである。この点においては、活物(生き物)の主であるとされる人よりも優れているということができる。よって、この天地自然に従って生じた草木を伐って神仏に献じる、また大礼の際に用いるときは、東西和合・虚実等分の法格を備えて草花の姿を整えて挿けなければならない。  草木は非情無心であっても、天地より与えられた「本来の性」に従って生じるものである。この草木と深く接することで、天地自然の真なるものを感じとり、万物自然の道理、また神儒仏の三道の尊さというものを理解することができる。この意義を理解して花を愛するときに初めて、自然と本心となり、我と草木が同性になれるのだ。草木と同性になれば、すなわち神仏と同体になることができる。花を学ぶことは、無益の慰みではなく、万物の本質を追求することにつながるものである。  四方の本情に従って、草花が落花落葉し、また枯木枯葉の姿となるのを人は愛でる。花は満開となった後に散り、葉は土の色に戻って枯れ散る。このような落花落葉・枯木枯葉を挿け花として床に移すことは、もともとの「出生」の色を失い、土の如き色に変化した衰えのあるものであり、よってこれを尊客の饗応などに用いてもよいのかという疑問がある。しかしそうではないのだ。万物というものは全て土に帰るということが自然の道理であって、落花落葉・枯木枯葉の景色を愛で、この姿から何か大切なものを感じとることが肝要なのである。それ故に、「虚実和合」の法格を備えて、花葉枝の禁忌の箇所のみ取り去って、生々の気を全体に満ちさせるときは、麗しく最上のものとなる。自然が刻々と変化し、原初にたづねて旋転していく様を感じさせる草花こそ、我々が求める花ではないだろうか。

 

 

十三の一 神社また霊祠へ献華の事[元旦の花]

奉書(鶴)   若松   LectureW-4e

 

「神社仏閣奉納の花」として、先ず「神社に奉納」する時、また能舞台等の席に花を挿ける時は、島台飾りにする。島台飾りとは、屏風で丸い囲いをし、その周りに花を並べ、四方廻って見えるようにしたものである。神前の正面を上座とし、その反対側を役席第二座、そして神前より左(陽)を第三座、また神前より右を第四座とし、このように花を配して奉納するものである。  次に「仏閣に奉納」する花としては、水陸に分けて山水に挿ける。これは、浄土と現世の二元的な状態を示すものである。床には、釈迦像などの仏の掛け物を掛けて、里の物である食べ物を供える。床に陸物の花を挿けた時には、床脇より陸草を並べ、そしてそれより先には水草を挿けて景色よく飾る。掛花器は陸草の上に、舟は水草の上に釣る。このとき、掛花器と舟は草木の取り合わせに応じて用いるものである。  また「神社また霊祠へ献花の事」として、神社、また神の霊を祭る霊祠に献花するときは、神の木と書く榊(さかき)を挿ける。神前に供える献花に対して、仏前に供える花は供花という。このとき、花器は青竹を用いて、花台は木地の真のものを使う。挿ける花は、体に七つの枝、用に五つの枝、そして留に三つの枝を備えて、不浄なものを取り除く「七五三」として、三才の格を整えるものである。榊以外としては、若松を「七五三」でもって献じても構わない。   「涅槃像に献じる花」として、釈尊の入滅の様を現した像である涅槃像に献じる花としては、糸桜に縞芭蘭をあしらって挿けたり、また糸柳に白玉椿のあしらいでもって挿ける。このとき、有情非常に至るまで、自然に憂いの意をこめ、そしていと艶しく挿けるものである。  釈尊が菩提樹の下に瞑想して、解脱したときの境地を涅槃(ニルバーナ)という。「ニルバーナ」とは「吹き消した状態」を意味し、風が燃える火を吹き消す場合のように、燃えさかる煩悩の火を智慧によって吹き消し、苦悩のなくなった状態を現すものである。煩悩の炎の吹き消された悟りの世界である「涅槃」は、静やかな安らぎの寂静である。諸行無常、諸法無我の事実を自覚することが、いわゆる涅槃寂静のすがたであると言えよう。釈迦入滅の日は二月十五日とされている。

 

 

十三の二 正月三日の花[孟春の梅]

奉書(鶯)   梅   LectureW-2b

 

正月三日には、注連(七五三)の伝の梅を挿ける。このとき、枝は古木を二本と、そして若枝を三本と、合わせて五本使って挿ける。この花形は三才格とし、最後に水引七本を相生結びにして、以上でもって注連(七五三)の伝とするものである。  古木は親の姿を、また若枝は子の姿を意味し、親二人に子が三人生まれていくという子孫繁栄の姿を現すものである。古木の二本は偶数(陰数)で陰を、そして若枝の三本は奇数(陽数)であり陽を意味する。この合わせて五本使う梅は、陰の中より陽が芽生えていく「陰中陽」の状態であるといえる。梅の姿は一本の古木で体と用の格を備えるのがよく、留は別のもう一本の古木を使う。そして若枝の三本を、この二本の古木より生じたように見せて挿ける。  梅はその生態から交叉する枝を多くもつ、そのために体の後あたりに「女格」を一ヶ所とる。この「女格」をとるとは、女という字の姿になるように枝を交差させて挿けることをいう。ただ必ず用いなければならないというものではない。梅の出生からどうしても交叉する枝があるので、これを出生のものとしてそのままにして挿けるという考え方のものである。これは、自然という体と、花術である用が相応した姿、つまり体用相応した姿であるといえる。  また他の植物に見られないほど成長の早い、ヅアイを程よいところへ高く使って挿ける。花は、体・用・留それぞれに、開・半開・莟のものがあるように、また片寄ることのないように取り合わせる。この梅中期の正月のときの梅を「孟春の梅」といい、「南性の梅」の珍花、そして「北性の梅」の残花と合わせて「三世の梅」という。「南性の梅」と「北性の梅」は、用に開のもの・体に半開のもの・留に莟を使って、自然の陽気の移り変わりを示す。それに対して、正月の時に挿ける「孟春の梅」は、開・半開・莟と、花全体に片寄ることなく混ぜ合わせて使って挿けるものである。また「北性の梅」のときは珍花であるので、ズアイは短く低くし、留・控あたりに使う。いっぽう「南性の梅」は残花であるので、ズアイは特に長く高くし、相生から体添あたりに使って挿ける。この七五三の伝のときの「孟春の梅」は、ズアイは高くあるものの、中庸に使って挿けるものである。

 

 

十三の三 婚礼の花(高位)・誕生の花(高位)

奉書(上 : 寒雀、下 : 雀)[方形体]   松、竹、梅   LectureW-3d

 

高位高官の御方の婚礼の際には、注連の伝の「松竹梅」を挿ける。また一般的な婚礼の際には、松と竹を二瓶にして挿けるものとされている。このとき、床には掛け物を掛けず、ただ空座にして、中央に神酒を木地の三方に載せて供する。そして神酒の左右に、明り口のほうには男蝶の銚子を、床柱のほうには女蝶の銚子を、それぞれ木地の三方に載せて飾り置く。新郎と新婦が婚礼に出る前に、男蝶女蝶の銚子の酒を三献づつ神に献じるのである。  正月元旦の花は注連の伝の若松を挿け、二日は注連の伝の伐竹を挿け、そして三日は注連の伝の梅を挿ける。正月と婚礼は両者ともに、物事の初めとして大切な節目であり、婚礼のときも正月と同様の考えでもって花を挿けるものである。「松竹梅」をひとつの器に挿けるということは、三則一に帰することを現し、これは天円地方和合の姿であるといえる。すなわち「松竹梅」という天地人「三才」の現象を、一なる本質に帰せしめるものである。  松は千年の緑を尊ぶもので、竹は万木千草に勝れて成長が早く、梅は他の花に先駆けて咲く。昔、中国の晋の武帝が、学問に親しんだ時には梅の花が咲き、学問を止めると咲かなかったという故事から、梅には好文木という名がつけられ、「三元の冠花」とし花中の君子として尊ばれた。中国では、松・竹・梅を「歳寒三友」、これに蘭を加えて「歳寒四友」、また松・竹・梅・菊に石を取り合わせて清いものの総称「五清」とした。  この松竹梅は、陽の司(松)と、陰の司(竹)と、そして三元の冠花(梅)の三つを一瓶のもとに挿け、目出度い最上のものである。よって元旦・婚礼ただし高位高官に関してのときのみ挿けるものとし、軽々しく挿けてはならないとされている。  高位高官の御方の婚礼の際の「松竹梅」の挿け方として、薄端または広口を使い、先ず中央に伐竹二本を挿ける。このとき、長い陽の竹には、三節二枝を備えて体と用の枝をとり、竹の先を大斜に伐る。一方、短い陰の竹には、二節一枝を備えて留の枝をとり、竹の先を平に伐る。このとき竹の大斜の切り口が、平の切り口と向き合うように調和して挿ける。ただし竹の節間が短いとき、陽の竹は三節二枝にこだわらず、陽数(奇数)の節と陰数(偶数)の枝とし、また陰の竹は二節一枝にこだわらず陰数(偶数)の節・陽数(奇数)の枝としてもよい。長い竹は「陽中陰」、また短い竹は「陰中陽」である。この中に腹籠の存在をみてとることができる。つまり、陽の中から陰が生じ、そして陰の中から陽が生じる。父親(陽)が強ければ女子(陰)が生じ、いっぽう母親(陰)が強ければ男子(陽)が生じるという。これは「陽中陰」・「陰中陽」の考え方に因るものである。  竹の葉の成長の状態で、葉先が二葉開いた状態のものが「魚尾」、その中葉が伸びて未だ開いていない状態が「飛雁」、その中葉が開いて三葉となった状態が「金魚尾」である。体にはこの三通りの葉があってよく、陽気を受ける用は成長した「金魚尾」を多く使い、留はその逆に「魚尾」を多く備えるものとする。  そして明かり口のほうに注連の伝の松を挿け、床柱のほうに注連の伝の梅を挿ける。竹を立姿に、松を半立姿に、梅を横姿にして、一瓶のもとに挿ける「松竹梅」の姿は方形体であるといえる。  最後に、足下には水引七本を相生結びとし、金は松のほうに、銀は梅のほうに出して使う。陽を尊ぶ慶事の時の水引のかけ方として、向かって右(陽)には水引の金・紅が、そして向かって左(陰)には水引の銀・白がくるようにする。挿け花の時の水引としては、「用金」といい、花の姿の用の下に金がくるように水引をかけることとされている。参考として、陰を尊ぶ凶事・仏時の時の水引としては、向かって右(陽)には水引の黒が、そして向かって左(陰)には水引の白がくるようにする。以上が、高位高官の御方の婚礼の際の「松竹梅」の挿け方である。  また、新婦が神聖な白無垢の姿で婚礼の盃事を終えたのち、色物の着物に着がえる「色直しの席」には、陽気なる目出度い花を十分に派手に挿けるものである。このとき垂れ物、弱き物、名の悪いもの、赤色の物を挿けてはならない。  次に、一般的な婚礼の際には、松と竹を二瓶にして、それぞれ対にして挿けるものである。明り口のほうには松を挿けて、陽を司る高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と、陽の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭る。また床柱のほうには竹を挿けて、陰を司る神御産巣日神(かみむずびのかみ)と陰の伊弉冊尊(いざなみのみこと)を祭る。このときの花器としては、八神を現す八角の銅製のものを用い、花台は木地の真のものを使う。そして、松と竹ともに水引七本を相生結びにして、花の姿の用の下に金がくるように水引をかける。全て生あるものは、陰陽という二神によって、生じたものであるということを改めて感じることが大切である。  婚礼は子孫繁栄の基となる大事なものである。このときに改めて、人というものが生じた万始の古に遡り、古きに想いを馳せて考えるべきであろう。  古の頃は自然の気が混沌としていて、天と地というものが未だ分かれず、鶏卵の中身のように固まっておらず、ただぼんやりと何かの芽生えを含む「未生」の状態であった。やがてその中で澄んで明らかなものは、昇りたなびいて天となり、また濁ったものは、重く沈み滞って大地となった。そして、この天地の中に一物が生じて、形は芦の如く、神と化身したといわれている。  この天と地が未だ分かれていない古の頃、高天原には天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という宇宙創造「太極」の神が存在していた。そして後に、陽を司る高御産巣日神(たかみむずびのかみ)と、陰を司る神御産巣日神(かみむすびのかみ)という「両儀」の二神が生じて、始めて天地という陰陽が開いたものである。この「太極」と「両儀」という三柱である三神は、それぞれ独立したものとして「造化三神」と呼ばれている。この陽を司る高御産巣日神と、陰を司る神御産巣日神は陰陽和合して、その後に数多くの神が生じていく。  この天と地が生成された頃、下界は一面、原始の海に大地はその上を浮遊する雲や魚のような状態であった。その中で、天と地の狭間に葦の芽が生え、そして宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)が生じる。この神は混沌の中からアシカビ(生命)として生まれたことを意味している。また、天之常立神(あめのとこたちのかみ)が、この宇麻志阿斯訶備比古遅神と対になって生じ、混沌の中からトコ(土)として生まれたことを現す。つまり神々や人間など、いわゆる生あるものは「泥中の葦の芽」から生まれたということができる。以上の五柱の神は、別天津神(ことあまつかみ)とし、創造神とされている。  続いて、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもののかみ)が生じる。また二神で一代の対偶神として、宇比地邇神(ういじにのかみ)・須比智邇神(すいじにのかみ)、角杙神(つのぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)、意富斗能地神(おおとのじのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)、於母陀流神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美命神(いざなみのかみ)の神々が生まれ、ここまでの神々のことを神世七代と言う。  神世七代の最後の一対の神である伊邪那岐神と伊邪那美神は夫婦神で、陽の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と、陰の伊弉冊尊(いざなみのみこと)は、天浮橋に立ち、天の沼矛を降ろして混沌なるものをかき混ぜた。すると、矛の先から滴る潮から、淤能碁呂島(おのころじま)ができた。二人はその島に天下って天御柱を建て、その天之御柱を中心にして、陽の伊弉諾尊が左旋し、陰の伊弉冊尊が右旋して、互いに合生じあうことで国が産まれたという。このように陰陽という両極なるものが作用することによって、万物が生じていったのである。そしてより、本州、四国、九州など八つの島々を生み、国生みを終えた後は、さらに風、水、海、山、草など、次々に神を生んでいく。その数は三十五神に上るといわれている。  宇宙創造の太極の神である天御中主神の一代と、陰・陽の神である神御産巣日神、高御産巣日神の二代までの三神を造化三神といい、また我が民創造の神である伊弉冊尊、陽の伊弉諾の三代までを造化三代という。  婚礼は人道一世の大礼であるので、この席の花には、松と竹をそれぞれ二瓶にして挿けるものである。竹の代々に久しく、香具山の昔を以って備え、松は千歳の永きを祝い、これに腹籠りの緑を入れて子孫長久相続の守とする。そして金銀紅白の水引七把で相生結びにして、注連の伝として陰陽の神である産巣日神を祭るのである。

 

 

十三の十 節分の花

奉書(寿留女、四垂、八垂)   柊   LectureW-2e

 

季節の移り変る時の分かれ目、すなわち立春(新暦二月四日頃)・立夏(新暦五月六日頃)・立秋(新暦八月八日頃)・立冬(新暦十一月八日頃)の前日を節分という。そして特に立春の前日(旧暦一月十三日頃/新暦二月三日頃)を、代表して節分という。これは立春が一年のうちで始めに訪れる節分であり、この日に内外の邪鬼を払う様々な行事が行われてきたためといわれている。この立春より暦の上では春となる。  立春の節分のときには、鰯(いわし)の頭を刺した柊の枝を戸口の前に立てて、「鬼は外、福は内」と称しながら、大豆をまいて邪鬼を払った。鬼が鰯の悪臭を受けて、柊のとげに刺されて逃げていくようにしたものである。また神社では節分祭として「追儺(ついな)」や「鬼遣(おにやらい)」の行事が行なわれた。「追儺」とは、鬼を払い疫病を除く儀式のことで、鬼に扮装した者を内裏の四門をめぐって追いまわし、邪気を払うといわれる桃の木で作った矢でもって鬼を射る行事である。  この「節分の花」としては、神の木と書く榊(さかき)を挿け、これに目出度い名をもつ福寿草を添えて挿ける。福寿草は「根遣い三種」のひとつとして、生きていく上で大切な根を切ることなく、縁起のよい吉事が永久に続くという願いをこめて白い根を見せて使う。本来、挿け花は草木の花・葉・枝のみを用いて挿けるものであるが、この「根遣い」の挿け方においては、根も使って挿ける。草花の源である根を切らずに、挿け花として用いることで、永久に流転する様を現したものである。この「根遣い」する花としては、この福寿草の他に富貴草、水仙と三種類のものがある。福と寿という目出度い名をもつ福寿草、富み栄え貴い富貴草、そして清純なるものを現す水仙の三種は吉なるものであるとされている。  また榊に、春の神に奉る花として、梅を添えて挿けたりとする。寒さをしのいで一年で最も早く咲く梅は三元(上元・中元・下元)の冠花、百花の魁として位の高い花とされている。この梅を榊に添えて、立春の前日にあたる「節分の花」として挿けるのである。

 

 

十三の二十 家名続目の花・下元の花

譲り葉、万年青   LectureW-3e

 

「家名続目」とは、戸主の隠居や死亡に伴って、長子が家名・跡目を継ぐものである。一方、「入院(じゅいん)」とは、戸主が長子に家名を譲り隠居すること、また出家することをいう。  先ず「家名続目」のときの祝いの花としては、ゆずり葉を挿ける。また、ゆずり葉に白梅などの位の高い花をあしらって挿けたりとする。ゆずり葉は、新しい葉が育成してから、古い葉が譲って落ちていく出生をもつ常磐木である。長子の成長を待って戸主である父が引退し、そして今後も家名が代々と続いていくことを願って、ゆずり葉を挿けるのである。ゆずり葉に添える梅は、他の花に先駆けて咲くものであり、この清純な白梅は古木扱いにして挿ける。古木は代々伝わるもの、そしてその古木から新しい白梅が生じていくような姿にして挿けるのである。ここに、「陰中陽」の姿が現されている。  「入院」ときの祝いの花としては、開くということを嫌い、よって開く花の類のものを使ってはならないとされている。退いた後には、潔く陰に徹するべきものとの考えからのものである。この「入院」の祝いのときは、五葉の松を一種のみ使って挿ける。松は千年の緑を尊ぶもので、古今に渡って色をもたず、また五葉の松は木火土金水という五行を現すものである。退いた後は、華やかなものを避け、太極・両儀・三才・五行と万物の辿ってきた流れを、ただただ感じ、己の内で深めていくことが大切なのである。また陰の司である竹に、実物や清浄な白い花の莟だけのものを添えて挿けることもある。このとき、実物は赤いものを使ってはならない。他の祝い事の折には、目出度い花や位の高い花などを用いて挿けるが、この「入院の花」は祝事といえども華やかに花を挿けるものではない。